2006年12月20日 (水)

羽根岬

歌碑は昭和34年奈半利町羽根岬に奈半利「十兵衛会」が建立。
碑には貫之一行の船が羽根岬沖を通過する時の一文を刻む。
このくだりには「土佐日記」全編を通し流れている望郷の思いがよく現れている。
1月11日一行は奈半の泊りを暁に船出して室津に向かい、昼ごろ羽根岬沖を通る。

まことにて名に聞くところ羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな 貫之Turayuki02

今し羽根といふところに来ぬ。稚き童このところの名を聞きて、「羽根といふところは鳥の羽のようにやある」といふ。まだ幼き童の言なれば人々笑ふ時に、ありける女童なむこの歌をよめる。「 まことにて名に聞くところ羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな」とぞいへる。男も女もいかでとく京へもがなと思ふ心あれば、この歌よしとにはあらねどげにと思ひて人々忘れず。

Turayuki03
羽根岬

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土佐国衙跡

土佐日記
土佐日記は紀貫之が土佐国司の任を終え二ヶ月近い船旅を続けて帰京するまでの紀行を仮名書きで綴った歌日記風の作品である。

 土佐日記懐にあり散る桜  虚子
Turayuki01
句碑は南国市土佐国衙跡に昭和19年高浜虚子の古希祝いとして龍巻会が建立した。
国衙跡は平安の昔紀貫之が土佐国司として4年間住まいした邸跡である。昭和6年虚子は浦戸湾から土佐入りするやまずここを訪れた。その日は桜が繚乱と咲き誇っていた。

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