鼓ヶ岡神社
崇徳院(1119~1164)
鳥羽天皇の第一皇子。母は待賢門院璋子。後白河天皇の同母兄。実の父を曽祖父・白河天皇とする説があるが真偽は不明。
「保元の乱」を起こし後白河との合戦に及ぶが敗れる。讃岐国に配流され鼓ヶ岡の行在所に入る。
崇徳院は8年後崩じたが、保元の乱で死亡した人々の菩提のため血書した大乗経の奉納を拒否されたため、憤怒し天狗の姿となって国家滅亡の誓いを立てたという。当時の世情不安は院の怨霊によるとして恐れられた。遺骸を焼く煙が都の方向にたなびいたという。
遺骸は坂出市の白峰陵に祀られた。
瀬をはやみ岩にせかるゝ滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院
[川の瀬が速いので、岩にせきとめられた滝川の水が、分かれても末には一つになるように、今あなたと別れて逢うことができなくても、ゆくゆくは必ず逢おうと思う]
歌碑は坂出市府中町鼓ヶ岡神社にある。平成12年4月建立。
歌は百人一首にも採られた崇徳院の代表歌である。
碑には注連縄が巻かれ崇徳院の御霊を鎮める願いが看取できる。
崇徳院の歌碑の隣にある杜鵑塚である。傍らに「此両小塔は崇徳上皇の御遺事に因て立たる杜鵑塚のいふものなり」の石柱がある。
御遺事とは上皇がここで都を偲び、
啼けば聞く聞けば都の恋しきにこの里過ぎよ山ほととぎす
と詠まれてから、鼓ヶ岡や白峰付近ではほととぎすが啼かなくなったという故事である。
やはりこれにも注連縄が巻かれ崇徳院の鎮魂の願いが窺える。
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